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卒業生の声(文系、30代、女性、元会社員)

30代後半、独身女性です。
文系・翻訳経験ゼロから2年コース(第8期・2018年1月~)を受講しました。

当初は会社員の副業での立ち上げを目指していましたが、受講期間中に会社員の仕事を辞め、
約1ヶ月の無職期間を経て実ジョブを獲得。専業フリーランスに転向し半年で計60万円弱、
直近では月10~15万円の収入を得られるようになりました。分野は産業翻訳(医療)で、
言語は現状、中国語:英語=9:1です。

はじめに、この受講感想は約25,000文字あります。読み終わるのに30分はかかります。
この長い文章の中で私がお伝えしたいのは2点のみです。

それは、成功のカギは「マインドセット」であるということと、
ブログを継続することで成功につながりやすくなるということです。

マインドセットという言葉、聞き慣れないかもしれませんが
「行動のもとになっている考え方」を指します。

この講座で結果を出すためには、特に文系でゼロから始めた場合、
「絶対に翻訳者になる」「絶対にあきらめない」といった
マインドセットが必要になります。
一言で言うと「本当にやる気があるかどうか」です。

そんなの当たり前じゃないか、と思いますよね。
ここで言う「やる気」は実は、死んでも目標を達成してやる、
むしろ達成しないと死ぬくらいの強い気持ちです。

なぜそこまでの強いマインドセットが必要なのか、
持っていなかった場合はどうなるのか、そしてどのように獲得するのか。
私がこの2年間で学んだことを、受講感想に代えてお伝えしたいと思います。

講座受講の理由

 受講を検討されている方の動機はさまざまだと思います。
私は、なぜ講座を受講したのかと聞かれたら「人生を変えるため」と答えます。

もちろんそのために、プロの翻訳者となることが前提です。
私が人生を変えようと思ったのは、これまで「とんでもない人生」を生きてきたからです。
まず、これまでどういう人生を歩んできたのか、そしてなぜ人生を変えるために
講座を受講したのかについてまとめます。

暗記こそが勉強:子ども時代~大学入学まで

 私は人口3万人ほどの、最寄り駅まで車で30分という田舎で生まれ育ちました。

 両親は特に教育熱心な方ではありませんでした。
父親が新聞・雑誌以外の活字を読んでいる姿を見たことがなく、
母親の言う「本」はだいたいミステリー小説でした。

 小・中学校の成績は中の上くらいでしたが、算数・数学は大の苦手でした。
公式を暗記するだけでなく問題集を解きまくって途中の式の展開まで
暗記することで乗り切っていました。

数学でさえこうなのでその他の教科も察しがつくと思いますが、
私にとっての勉強は暗記でした。
せっせと穴埋め式の自作問題集を作成し、何度も何度も繰り返して覚えて
「勉強」していたのです。

 そして高校入試。公立高校の選択肢が少なく、レベルの高い1校と
中の下くらいの1校の実質2択でした。
「レベルの高い高校に挑戦して落ちて私立に入る」という状況だけは
家庭の事情から避けたかったため「中の下」を推薦で受け、合格しました。

 高校は、大学に行く人がそもそも学年全体の3分の1以下、
四年制大学に行く女子は数人というレベルの高校であったため成績は相対的によく、
学年で1人の公立大学の指定校推薦枠を勝ち取り、面接と小論文で大学に入学しました。

唯一の「主体的な行動」:大学時代~就職まで

 地元の大学の国際関係学部に進学しました。
専攻については、どうしてもやりたいものがあるというわけではなく、
「文系で、英語はまあまあできる」というところからの消去法での選択です。
実際のところは、「お金のかからない公立大学だったから」が最大の理由でした。

 ここに至るまで「ひたすら流れのままに楽な方向へ生きる」生き方をしてきたのですが、
大学時代にひとつだけ自分の意思で行動したことがありました。

それが中国への留学です。

大学の2週間の短期留学プログラムに参加した際に初めての海外となった中国にはまってしまい、
その後長期留学を計画し必死にお金を貯め、物価の安い東北地方へ1年半留学しました。

 留学から帰国後、将来特にやりたいこともなく日本での就職活動が億劫だった私は、
中国で就職することを決意し再度中国へ渡りました。

当時は日系企業の日本人現地採用者の募集も多く、「中国語が話せる日本人であればOK」
くらいの条件の所もありました。せっかく学んだ中国語を活かしたいという思いもあり、
複数社面接を受け、とある日系メーカーの工場の事務スタッフとして
社会人としてのキャリアをスタートさせました。

ストレス>現状維持:転職×3ののち、安定を求める

 この後、上記の会社を1年半ほどで辞め、同じ地区の日系企業に転職、
ここをわずか3ヶ月ほどで辞め(採用面接時の話とあまりに違っていたため)
英語力アップのためフィリピンへ数ヶ月滞在。

帰国し貿易事務の派遣社員を4年ほど続け、その後再度中国に渡り日系商社の
現地法人で働く、という行き当たりばったりの20代~30代前半を過ごしました。

 このめまぐるしい転職には、自分自身の都合というよりも
留学時代から付き合っていた相手の都合に合わせた面が大きいです。

私自身に明確な「将来設計」がなかったのもあり、
特に不満もなく相手に合わせていました。

30代に入って関係に何の進展もなくても私は行動を起こしませんでした。
というよりも、そもそも私は「結婚するかしないか」ですら
自分で決めることのできない、超絶受け身な人間だったのです。

結局、9年半近く続いたこの関係は最後に中国で働いていた頃に
突然終わりを迎えます。

当時,私は仕事でかなりストレスを抱えており、
そんな中で同棲中の相手の世話までしたくない、
という気持ちが膨れ上がって半ば衝動的に関係を切りました。

結局それから約1年半後、仕事上のストレスがピークに達し
「これ以上は無理だ」と思い帰国を決意します。

在職中に「正社員でまずまずの待遇」の条件のみで転職活動を始めます。
この時はもう中国や中国語、そして仕事へのこだわりもなく、
ひとりで生きていけるだけの貯蓄ができればそれでいいと思っていました。

運良くすぐに条件のよい会社と巡り会い、
帰国の2ヶ月後には転職先に出社することになりました。

自分探しinぬるま湯:まったり正社員時代

 新しい職場は輸出商社で、業務内容は貿易事務です。

転職した当初、中国の職場とのあまりの違いにここは天国かと思いました。
土日祝完全休み。残業もほぼない。ボーナスも出る。
資格手当が支給されるため、関連の資格を片っ端から取っていきました。

 始めの1~2年は仕事を覚えることと資格の取得で「充実した日々」を送っていました。
そこから3年目、4年目となると、生活が安定してきていろいろと考え始めます。

30代半ば頃です。今はいいけれど、それほどのスキルが溜まらない
職場環境では次の転職は恐らく難しい。この会社、いつまであるだろうか
といった不安。そして、定年まで会社があると仮定した上で、
ここにずっといたいだろうか、という疑問。

 この会社は女性社員の未婚率が恐ろしく高く、50代・60代の未婚女性社員も
少なくありませんでした。ですので、ここにいた場合の「私の10年後・20年後」が
ありありと想像できました。

私は果たしてこういう人生を歩みたいのだろうかと自分に問いかけた時に、
「違う道があるのではないか」とも思い始めました。

 ただ、その「違う道」が何かはなかなか見えてきませんでした。
それでも、このまま人生終わりたくない、何かしら「生きててよかった」
と思って死にたい。ひとりになったんだから、もっと自由に生きてもいいのでは。

そんな思いから30代半ばにして自己啓発系の本を読みあさり、
「自分探しの旅」を始めました。「自分探しの旅」の終着点は、
「中国語を活かす道を探す」でした。

私がこれまで唯一と言ってよいほど自分で興味を示して、のめり込んだものが
中国語でした。「語学力を活かした仕事」といって思いつくのはやはり、
翻訳・通訳でした。

自分の性格から通訳はまず無理というのは十分理解していたので、
やるとしたらやはり翻訳です。この頃、ネット上で翻訳講座や翻訳者の
ブログなどをチェックしている時に講座卒業生のブログが目に留まり、
そこで「レバレッジ特許翻訳講座」について知りました。

「まずは資格を取ろう」:講座の存在を知るも、華麗にスルー

2017年の話です。前からチェックしていたAyumiさんのブログで
講座を受講することを知り、そこから「ママはフリーランス翻訳者」さんの
以前のブログにたどりついたと記憶しています。

 ただ、私はこの時点では「特許っていうとバリバリの理系だよなぁ、
ちょっとハードル高いな」と大して調べもせずに講座のことは
一旦頭の片隅にしまっておくことにしました。

そして、他の通信翻訳講座について調べつつも「やっぱり中検1級を取ってから
考えよう」と、中国語検定を取るための学習を始めました。

 私はこの時、「ものはついで」とばかりに通訳案内士(中国語)の学習も並行しました。
前述の通り、通訳には向いていないと自覚していたので取ったとしても
通訳案内士になることは99%ないのに、です。

 この「とりあえず資格を取ってから次考えよう」という
先延ばし・現実逃避のマインド、そして関係のない資格を取るのに
お金も時間もかかり貴重な人生を浪費しているということに
当時は全く問題意識を持っていませんでした。

ファーストインパクト:受講開始まで

 一連の資格試験を終えてから、さすがに冷静になりました。

この試験に受かったとして、一体何になるのだろう。
結局私は何がしたいのだろうか。
ようやく自分でも、現実逃避していることに気づきました。

そんな時講座の存在を思い出し、とりあえずメルマガ登録することにしました。
そして当時で1000ページくらいというわけのわからないボリュームの
「受講案内」(こちらからリクエストを)を読み進め、
頭がかち割れるような衝撃を受けました。

受講案内のボリュームのほとんどを占めるのは、受講検討中の方、
そして受講生の生の声です。

これだけ不要な時間を削って(中には命を削って)勉強してプロになれる
という厳しい世界。何名かの受講感想からは鬼気迫るものすら感じました。

pdfファイルの最初から最後まで目を通して、これまでの生き方・考え方が
いかに甘かったかを痛感しました。

 確かにめちゃくちゃ大変そうだ。でも、これまで何となく浪費してきた人生。
そして変えようと思ってもひとりでは変えられなかった人生。
この講座なら、変えることができるのではないか。そう思ったのです。

これが、私が講座を受講した理由です。

vs「夢子Lv100」:受講2年間の歩み

 受講開始後の2年間は、まさに自分自身との戦いでした。

上記の通り、受け身で自分ひとりでは何も考えられない脆弱マインドだった私が
いつ、どのような課題に直面して、どのように解決しようとしたのか。
そしてその結果どうなったのか、を基本的に時系列で書いていきます。

戦いの幕開け (受講開始~半年)

<学習内容および進捗状況>

・2018年1月末~2月初旬(1ヶ月目):環境整備・マスタCV作成
・2018年2月~6月(1ヶ月目~5ヶ月目):岡野の化学・橋元の物理
・2018年7月(6ヶ月目):トライアル準備(トライアル関連ビデオ視聴・CV作成)
(1年目の学習時間は、平日平均6時間、休日13~14時間です)

ビデオダウンロードや学習環境整備の後にマスタCV
(実際のトライアル応募時の「あるべき姿」を記載した仮のCV)を作成し、
高校のテキストを利用した講座ビデオ「岡野の化学」シリーズの学習を始めました。

理系科目全般にアレルギーがあり、開始前は果たしてついていけるのかどうか
かなり不安を感じていました。

しかし、その不安は杞憂に終わりました。

ビデオを進めながらひとつひとつ理解していくことで確実にわかる範囲が
増えていくのが楽しくて、毎日夢中で学習を進めました。

ノートに資料を切り貼りして説明を加えたり、
「知子の情報(テキストデータベース)」へまとめたり
マインドマップでグルーピングしたりといった学習法は、
これまでの暗記一辺倒の学習とは異なるもので当初はただただ新鮮でした。

ビデオ内で丁寧に「王道の学習法」のやり方が解説されているので、
数をこなすうちに少しずつ身についていきました。

この学習の過程で苦労したことは「今学習すべき内容の見極め」が
自分でできなかったことです。岡野の化学・橋元の物理シリーズでの学習が
推奨されているのは、あくまでも特許明細書に書いてある内容を理解して
訳せるレベルになる基礎的な理系知識や考え方を身につけるためです。

期限内にプロになるという時間的制約もあり、
決して趣味的に勉強している暇はありません。
それが頭ではわかっていながらも、私は実際にはそこから離れた勉強を
していることが多かったのです。

幸い、ブログで毎日進捗状況を報告していたため
「その項目をそれ以上深掘りするのは時間のロス」と何度もご指摘を頂き、
その度に軌道修正をしてきました。

この頃、どうしても自分でその過ちに気づけず、
2、3回間を置かずに同じ指摘を受けた時はさすがに恥ずかしく、
また時間を取ってビデオにして頂いているのも申し訳なく感じて
ブログの更新をやめようと思ったこともありました。

 ただ、ここでやめたら成長できない、仮にプロになれたとしても
この癖を引きずっていてはレベルが上がらないだろうと思い、
ビデオを見て理解した点、頂いたアドバイスを実行した気づきや
今後の改善策などを翌日のブログに書く、ということを繰り返しました。

これにより、迷走しながらも完全な脱線・脱落を避けることができ、
学習を継続できました。

 この時期、ブログに書いた学習記録から翻訳への取り組みに対して
「今まで頭を使って生きてきたのか。ここで性根を入れ替えろ」と
ビデオセミナーで厳しくご指摘を頂いたことがあります。
このビデオ、当時はかなりショックでした。

というのも、それまでも散々「夢子はやめろ」と突っ込まれてはいたのですが、
実はあまり自分事として捉えていなかったからです(「夢子」とは、物事を
現実的に捉えられず「いつかできたらいいな」くらいで理想を語る、
口だけの人を指します)。

私は毎日極限まで頑張っている。言われたことはちゃんとやっている。
「夢子」と言われるのは正直心外だと思っていました。

この時になって、ようやく自分自身が最強の「夢子」であり、
これを退治しないことには成功はないことを自覚しました。
そして、ちっぽけなプライドもこだわりも何もかも捨てて、
根っこから自分自身を叩き直すことを誓ったのです。

その「夢子の自覚」事件の後すぐの、受講半年に差し掛かる頃です。
私は当初から「受講半年時点でのトライアル応募」を目標にしており、
学習も予定通り進めていました。ところがこの時点でのトライアル応募を
断念することにしました。

理由は、これまで学んだことと自身の経歴などを連動させてトライアル課題文が
送られてくるレベルのCVを書くだけの力が身についていなかったことです。

そして身についていなかった理由は、「自分で考える要素」が多すぎて
頭がパンクするため、CVへの取り組みを先延ばしにしていたからです。

トライアル自体は、CVを送らずに会社ごとのフォーマットの入力をすることで
受験ができるところもあることはわかっていましたが、「CVすらまともに
書けない。この状態で受かるはずがない」と必要以上に悲観的に捉えてしまい、
計画を修正し、もう少し学習を進めてから応募することにしました。

ここで、翻訳言語について少し補足しておきます。

受講開始当初は中日翻訳で考えていましたが、「中国語にこだわりすぎるのは
得策ではない、稼ぐのなら需要の多い英語でまずは安定稼働を目指そう」と、
英日に切り替えて学習を進めることにしました。

岡野の化学に入る前の管理人さんとのスカイプでも
その当時は「まずは英日でいいのでは」という話でした。

ただし、現在はまた状況も異なっており、バックグラウンドや興味も
異なると思いますので、英日、中日どちらも対応可能な場合
「英語から入った方がいい」とは必ずしも言えません。

理系の基礎固めの時点では、とりあえずどちらかに決めて学習を進める、
くらいで考えてもよいのではと思います。

参考までに、私の語学レベルは中検1級、英検準1級、TOEIC900点台前半です。
すべてとにかく過去問を解きまくることで獲得した資格で、かつ業務としての
翻訳経験もないため翻訳をする上の負荷・難易度は両言語ほぼ同じという状況です。

見えない突破口 (7ヶ月~11ヶ月目)

<学習内容および進捗状況>

・2018年8月~9月(7~8ヶ月目):
対訳シリーズ(IBM社レジスト)・半導体の学習

・2018年10月~12月(9~11ヶ月目):
対訳学習(半導体・MEMS関連)、トライアル関連ビデオ視聴、
トライアル受験(2社受験、いずれも不合格)

 トライアル受験を受講10ヶ月目の11月に設定。そこからやることを逆算し、
対訳シリーズ、公開訳を使用した翻訳学習などを進めました。

 対訳シリーズ(IBM社レジスト)をまず進め、その後半導体の知識を
肉付けするために講座おすすめの本『はじめての半導体プロセス』で
学習しながら各プロセスに関連する明細書を読んでいきました。

 このあたりになると、岡野の化学・橋本の物理で学習した基礎的な概念、
例えばpHや表面張力などと明細書とを連動して読むことができ、
確実にレベルが上がりつつあることを実感しました。

この頃は、明細書を翻訳している際の気づきや公開訳と自分の訳を
比較した際の気づきなどをブログにアウトプットするようにしていました。

訳語確定のプロセスについて、自分自身がとても悩んだことに対して
直接ビデオセミナーでフィードバックを頂くことで、自分の見えていなかった
部分やアプローチを変えた方がよい部分が明確になり、非常に深い学びを得られました。

 受講10ヶ月目に初めてのトライアルに挑戦。

持ち時間をフルに使って「現時点でのベスト」で提出したものの不合格。
課題文提出後の振り返りで、訳文の正確さ以前にコメントの付け方や
訳語の選び方が非常に独りよがりで、「自分はこれだけ調べた、これだけ
内容を理解して翻訳しているんだ」という承認欲求丸出しの訳文を
提出していたことに気づきました。

ここで、訳文はあくまでも相手が読むものであり、自分を引っ込めて
「感情と納品物を切り離して考える」重要性を学びました。

 1回目のトライアルを徹底分析し悪かった点を洗い出し、
次こそはと思い臨んだ2社目のトライアル。提出時の自己評価ですでに
「これは恐らく無理だろう」というレベルで、結果も不合格。

主な敗因は課題文の選択ミスでした。複数選択式の課題文で
「特に募集している分野」に目がくらんでしまい、
当時自分が得意としていた分野を選ばず、かなり無理をして
「特に募集している分野」へ挑戦してしまったのです。

 その後、2社目のトライアルを一文一文分解して分析。
「箸にも棒にもかからないレベル」と自己判断して全体的なレベルの底上げを
目的に、トライアル関連ビデオにて学習を進めました。

 トライアルを1度受けると、トライアルを受けることへの心理的ハードルは
確実に下がります。そして受けたからこそ埋めるべき「差」が見えてきます。

その一方で学習中やトライアル分析中に、どうしても自分の訳文に感じた
違和感にとことん向き合うことができないことと、わからないところを
無視してわかったところだけを無理やりつなぎ合わせてわかったと
判断してしまう「わかったつもり病」から抜け出せないことがこの頃の悩みでした。

当時は根本的な解決策を見いだせずに、
ただ学習が足りないのだと思いひたすら学習を進めました。

 受講半年時点では、そもそもこの頃(1年目後半)に感じていた違和感に気づくこともなく、また誤訳の原因を分析して次につなげるということもできていませんでした。1年目の後半は、性格に起因すると思われる癖や自分のミスパターンなども含めて、「自分が成功するまでに乗り越えないといけないハードル」がどのくらいの高さで、どんな形をしているのかが少しずつ見えてきた時期でした。

夜明け前が一番暗い(12ヶ月~1年1ヶ月目)

<学習内容および進捗状況>

・2019年1月(12ヶ月目):不合格トライアルの振り返り、トライアル関連ビデオ視聴
・2019年2月(1年1ヶ月目):対訳学習(材料関係)、トライアル応募

 受講1年前後は、ひとつの転機となる時期でした。

 毎日2時起床。定時ダッシュを続け、長期休暇も有給もすべて学習に突っ込む。夜出歩いたのは週1の会社帰りの買い物と強制参加の会社の忘年会のみ。こうして、昼間フルで働きながら1年間で3000時間を超える学習時間を確保してきました。

 1年目終了時点の到達地点は、トライアル2社受験、いずれも不合格。それも「まだ合格までは遠い」と自分で思うレベルでした。

 受講開始時は1年目で実ジョブ獲得を目標としており、その後「1年目終了時点でトライアル合格」に目標を修正しただひた走ってきました。

 当初1年で実ジョブ獲得を目標にしていたのは、受講感想を見ていて同じような境遇(文系・ゼロからで1日の学習時間が5時間程度の30代の方)が1年以内に実ジョブを複数こなして卒業されたのを見て、その方をペースメーカーとしていたためです(もっとも、その方は確か岡野の化学を3ヶ月くらいで終わらせていたので途中からすでにペースが異なっていたのですが。私は5ヶ月かけました)。
 ともかく、講座の実績を見ても3000時間というのはゼロからでも実ジョブ獲得、最低でもトライアル合格には届く時間だろう、と思っていました。

 なのに、なぜ自分はまだ「ここ」にいるのか。

 毎日10時間以上集中して学習するのと、平日6時間程度では集中度が異なるため結果の出やすさも異なるということ、学習中の計画・振り返りのブレイクダウンが甘いせいで軌道修正が遅かったこと、そもそも学習中に寄り道が多かったこと、成功された方は同じ時間でも「時間密度」が違うことなどがその理由だとその当時は思っていました。

 この時にすべきなのは、「まだ成長曲線のプラトー(結果が目に見えない時期)にいるだけ」という現実を受け入れ、足りないものを冷静に見つめ、目標を設定しそれを日々の学習に落とし込み、自分を信じて淡々とやるべきことをやる、ということでした。

 当時の私は、成功している受講生・卒業生と自分とを比較し、同じようにできない自分をただ責めて、責め続けることで結果として現実逃避していました。たまたま会社での業務がこの時期に異常に集中していて、またトラブルも続発していたこともあり、「前を向いて頑張る」ことができなくなっていました。

 そんな時、私が何気なくブログに吐露した心情から事態は急展開します。

該当のブログ記事から一部抜粋します。

「甘い、弱い、本気じゃない。何とでも言ってください。少なくとも私は本気です。ですが、アラフォー独身女性が人生を転換するっていうのは、そんなに簡単じゃないです。」

これは何かアドバイスを求めていたわけではなく、日々「思うこと」として書きました。ビデオセミナーで取り上げられたこと自体も予想外であれば、その内容も想像だにしていないものでした。

ビデオセミナーの内容は、「何も捨てずに現状維持では、人より上のステージにはいけない。成功したいなら、今あるものを捨てろ。マインドを変えろ。」といったものでした。ここには書けないくらい、厳しい口調でした。
「こんなに頑張っているのに!なぜここまで言われなきゃいけない?」
私は当初、そのアドバイスを受け入れることができませんでした。

その後、冷静になって考えました。私はなぜ講座を受講したのか、なぜこの1年死にそうになりながら学習を続けてきたのか。出社しても頭の中がいっぱいで仕事にならなかったため、早退して考え続けました。

この時、私は自分自身に「会社を辞めて退路を断つ」か「講座を辞めて1年前に戻る」かの選択を迫りました。「引き続き会社員をしながら副業での立ち上げを目指し、状況を見て退職」の道では恐らく私のマインドでは成功が遠いか、成功しないとビデオを見て悟ったので、この現状維持の道は選択肢にはありませんでした。

そして、「会社を辞めて退路を断つ」道を選択したのです。

 決意してから約2ヶ月後、実際に退職します。退職までの間にクレジットカードを念のため新規で複数枚申請し、さらに引越しをすることに決めて物件の下見に行き賃貸借契約まで済ませました。突発的ではありましたが、最低限やるべきことはやった上で、また最低2、3年は無収入でも困らないだけの預貯金がある状態で退職しました。

つかぬ間の春、ようやく出た芽を踏んづける(1年2~3ヶ月目)

<学習内容および進捗状況>

2019年3月(1年2ヶ月目):
・対訳学習(材料関連)
・トライアル応募(4社)、トライアル課題文への取り組み(3社目→合格)
2019年4月(1年3ヶ月目):
・トライアル課題文への取り組み(4社目→合格)
・スタイルガイドの読み込み、ミスパターンの整理、ジョブスキームを考える
・翻訳会社訪問(2社)

この期間はトライアル受験を最優先で進めました。4社応募し、1社は返信なし。2社よりトライアル課題文を受領しました。2月末にトライアル解答を提出した翻訳会社より、念願のトライアル合格の通知を頂きました。累計3社目の挑戦、受講1年2ヶ月目のことです。そしてこの後、間を置かずもう1社の応募先よりトライアルなしでの登録の連絡を頂きました。(もう1社、4月にトライアル解答を提出した翻訳会社からは、5月に入りトライアル合格のご連絡を頂いています。)

時は猫の手も借りたい3月初旬。そしてトライアル解答提出から合格通知までが比較的早かったこともあり、実ジョブへの期待が高まりました。

ようやく春がやってきたとばかりに、頂いたスタイルガイドなどの資料を読み込んで自分のこれまでのミスパターンを整理して「実ジョブスキーム」を作成するなど、いつ実ジョブを頂いてもいいように準備を進めました。

 しかし、待てど暮らせど何の音沙汰もありません。3月下旬になり「猫の手以下」である現実を受け入れ、それならばと思い会社訪問のお伺いを立てご了承を頂きました。

会社訪問にあたって、事前に会社HPなどを隅から隅まで目を通し、こちらの質問事項と先方の想定質問事項をまとめ万全の体制で臨みました。翻訳会社を訪問中、とあるメディカル分野の人手が足りていないという情報を入手し、勉強して数ヶ月後にその分野のトライアルにチャレンジさせて頂きたい旨を伝えて訪問を終えました。

その分野は確かに求人が出ていることを事前に確認していました。しかし、私は「メディカル系はちょっとハードルが高いなぁ」と思い自分事として捉えず、事前調査も特に行っていませんでした。

それでもやはり、需要があるのならいくべきか。とはいえ、その分野のトライアルを受けるまでにまとまった学習量が必要となる。そこに挑戦するよりも、これまである程度学習してきた分野でのトライアルを受け続けた方が結果は早く出るのではないか。そう考えました。

 そして私はここで、自分でそれ以上の分析をせず、管理人さんに訪問内容について報告し「こう言われたが、どうしたらよいか」と質問を丸投げしてしまったのです。

講座では質問は歓迎されており、いつでも無制限で行えます。ただし、「このように調査・アプローチをした結果こう思うが、この考え方で合っているか」といったような、自分で十分考えた上での質問です。この「丸投げ質問」に対して、そして数少ないチャンスを活かす方向に動かなかったことに対して、当然ながらビデオセミナーできつくお叱りを受けました。

 折しもこの日は会社の最終出社日でした。これからフリーランスとしてひとりで生きていくというのに、その自覚を持たずひたすら受け身で数少ないチャンスを活かそうとしなかったことに、深く反省しました。そして、その分野の学習を集中して行い3ヶ月後にトライアルを受けることを新たな目標とし、「勝利の女神には何が何でも抱きつけ」という教訓を脳に刻み込んだのです。

すべては一瞬で変わる(1年3~4ヶ月目)

<学習内容および進捗状況>

2019年4月~5月(1年3~4ヶ月目)
・基礎医学(解剖学・生理学)の学習
・関連の明細書の読み込み
・引越し
・中国語医療翻訳のトライアル(5社目→合格、実ジョブ獲得、その後継続受注)

 今振り返ると、4月中旬の会社退職後から5月下旬のこのわずか1ヶ月半ほどの期間が、2年間の最大の転換点でした。

 新しい分野の学習を進めるにあたって、まずは幅広く情報を集めて集約し、重点学習事項を決め、学習計画を作成しひとつひとつ実行していきました。当初はなかなか進みませんでしたが、知っているようで知らなかった体のしくみに「そうだったのか、なるほど」という単純な喜びがあり、またこれまで学んできた機械・電気・化学分野などとのつながりの発見も面白くて学習に文字通り没頭していました。

この期間中、学習時間は毎日14~15時間で、ほぼ毎日2回ブログを更新(夜にその日学習したことの簡単なまとめ、翌朝に学習した項目をピックアップして記事にする)していましたが、特につらいと感じることはありませんでした。

これは恐らく、実際に退職して後がない状態になったこと、「次は絶対にチャンスを逃さない」というマインドを強制的に獲得したこと、そして引越しという時間的な制約があったからだと思います。

 実際にこの時は学習したことがどんどん血肉になっていく感覚がありました。また、副産物として4月から5月でブログのPVが5500程度から1万近くへと一気に倍近くに跳ね上がりました。

引越しを無事終えて医療分野のトライアルに向けて学習を進めていた5月下旬のある日、「中国語の医療分野の翻訳者が足りなくて困っているのですが、いかがですか」と連絡を受けました。ブログで医療関連の記事を日々アップしていたことからお声を掛けて頂いたようです。

中国語。医療。

こちらの医療は、目先学習している分野とは全く別の分野です。そしてこれまでずっと英日の勉強をしてきた中での中国語。当然Tradosのメモリも用語集も真っ白です。

とはいえ、足りなくて困っているということは、どう考えてもすぐに仕事が来る可能性はとても高い。

「勝利の女神には何が何でも抱きつけ」
少し前の苦い経験がフラッシュバックします。

この分野に挑戦することを決め、CVを送り、課題文を受領。そしてトライアル解答を提出し、その数日後。トライアル合格の連絡と共に、数百字~2500字程度の実ジョブを複数頂きました。一連の出来事は、お声掛け頂いてからわずか10日ほどの間に起こりました。

トライアルが癖のない問題だったのに対し、かなりえぐい(と当時は感じた)実ジョブを前にしてうれしさをかみしめる余裕もなく、特に初めの1件は納期設定を甘くみていたこともあり納期ぎりぎりで焦りまくり、無意識に呼吸を止めてしまい酸欠になりかけながら納品。納品後、全身から力が抜けしばらく椅子から動けなかったのを覚えています。

そこからパラパラと案件を頂けるようになって、スイッチが入りました。
レギュラー認定されたい、もっと仕事をしたい、もっと速くうまく訳せるようになりたい。

案件がない時に似たような中国語の文章を探し出して自力翻訳。日本語側でも書籍やウェブ上の論文や症例報告などを読み込んで使える表現を「知子の情報」へストックしていきました。定型的な文章も多いためTradosでマッチ率が上がるように登録し、さらにミス撲滅のため、初期の頃は見直し時に気づいたミスをすべて洗い出しひとつずつ対策を練っていきました。

 この取引先からは最初の案件から約2ヶ月弱経過時点で、継続的に案件を頂ける状態になりました。さらに、英日案件も数百~最大2000ワードレベルですが時折舞い込んでくるようになりました。最初の5件と直近の5件の平均では、作業効率が時給換算で5倍ほどアップしています。

 このあたりのレベルアップの方法はすべて、これまで講座で学んだことの応用です。このトライアル自体は講座を受講していなくても受かった可能性はあります。ただ、そこから講座でたたき込まれた「学んだことは資産にする」ことの重要性を認識していたか、また資産化の方法を知っていたかどうかで、同じだけの案件をこなしても得られたものは雲泥の差であったと思っています。今はわずか半年の経験の差ですが、これが3年、5年、10年になると、そこには途方もない差が広がっているだろうと推測できます。

ここで引越しについて、少し補足させてください。

会社を辞める時、せっかくなので引越しをすることにしました。もともと住んでいた関西のアパートは、居住スペースが1間しかなくかなり手狭であったことに加えて、どうせなら関東に住んでいろんなイベントに参加したいという思いがあったからです。

 時間と費用はかかりましたが、引越しして大正解でした。家賃据え置きで専有面積ベースで1.8倍程度広くなり、何より居住空間がキッチンを除き2部屋になったので、1部屋まるまる作業スペースに使用できるからです。
 そして、関東に引越ししたことでセミナーや展示会などにも複数参加でき、受講生同士で集まり情報交換することもできました。それぞれの目標に向かって頑張っている仲間と実際にお会いできたのは精神的にも大きな助けになりました。

アグレッシブ夢子、登場(1年5~10ヶ月目)

<学習内容および進捗状況>

2019年6月~7月中旬(1年5~6ヶ月目)
・実ジョブ(中国語) 原文数百字~最大3000字ほどを週に1~2件
・実ジョブと類似した文書を使用したレベル上げ学習

2019年7月下旬~11月(1年6ヶ月目~10ヶ月目)
・実ジョブ(中国語:英語=9:1)原文数百字~最大4000字ほどを週に3~5件
・治験翻訳の学習
・治験翻訳のトライアル(4社受験、2社合格)

中国語医療翻訳の案件はなんとか立ち上がりましたが、案件の性質(特に、1件あたりのボリュームが小さいこと)からみて、たとえレギュラー上位陣に認定されたとしても年収は上がりにくいということが当初から見えていました。そのため、実ジョブで信頼を積み重ねること、作業を効率化することと並行して新規取引先の開拓が必須でした。
4月から学習していた分野に関しては、時間が経過し応募を予定していた翻訳会社の状況が変わってしまったため、他の選択肢も含めて考えることにしました。

 まず始めに考えたのが、今の取引先と同じような仕事を受注して一気に実績とメモリを増やして作業を効率化させようという作戦でした。計4社に打診し2社はトライアルなしで登録のみして頂き、そのうち1社からは後ほど案件を頂き、もう1社からは案件の打診のみ(先方の都合により案件自体がキャンセル)頂きました。もう2社は返信なしという結果に終わり、この方法での新規開拓はうまくいきませんでした。

 次に、メディカルライティングについて調べる機会があり、そこからフックがかかった治験翻訳について検討しました。特許のように公開訳が探しやすいわけではありませんが、あることはあります。そして、この分野の良質な用例が豊富な対訳集「イートモ」もあります。治験そのものについて学習するための自習用素材も豊富で、これまで学んできた講座の手法を応用すれば立ち上げることは可能だろうと感じました。治験文書は定型的な言い回しや繰り返しの部分もあり、ボリュームもあり、需要もあります。

 特許や他の産業翻訳でいろんな分野で打診されるより、ひとまず医療系で固めてもう一本の柱を立てる方が早く効率的に稼げるのではと考え、この分野でのトライアル合格と実ジョブ獲得を目指し、目標の「講座卒業時に月30万円稼げるようになること」へ向けて舵を切りました。

7月末(受講1年半時点)から本格的に治験翻訳の学習を始めました。これまでと同様に、まずざっくりと学習すべき内容をつかむため、翻訳対象文書の日本語版文書をいくつかピックアップして読み、必要な知識を確認。その部分の知識を補充してもう一度読み、日本語で読めるのを確認してから、英文を自力翻訳して公開訳と比較する、という形で学習を進めていきました。

 はじめはちんぷんかんぷんだった統計用語も薬学用語もだんだんと自分のものになっていく感覚があり、学習開始2ヶ月後の9月末に3社のトライアルに応募します。

うち1社は実ジョブが得られる可能性は高いと見込んで急募のMTPE案件に応募しました。さらに、10月の翻訳祭にてご挨拶をさせて頂いた会社のトライアルにも応募し、治験関連のトライアルは計4件応募しました。

 トライアルの結果は2勝2敗。1勝にはMTPEも含みます。MTPEでないトライアルにも合格でき、ここまでの学習に手応えを感じました。

これで、合格した2社どちらかからでもジョブが来れば、次につながるように全力でやろう。来なければ12月頭に再度トライアルを集中受験すれば、1月末の卒業時までにはうまくいけば案件の打診があるかもしれない・・・。

 と、考えていました。とにかく何でもいいから稼ぎたい、取引先を増やしたい、目標を達成したい。できるはずだ。そんな思いのもと、実ジョブをこなしつつ学習を進めていきました。

しかし、トライアルを突破した翻訳会社からは、登録の手続きが完了して数週間経過しても案件の打診が来る気配はありません。恐らくトライアル合格時のレベルが低く、よくて繁忙期の猫の手代わりだったのでしょう。

さらに、不合格だったトライアル1件を一文一文再度自己分析したところ、提出直後に自信があったはずなのに実際はボロボロの出来だったことがわかりました。文法上のミス・文脈を読み間違えているミスが散見され、目を覆いたくなる状況でした。

 受講1年半を過ぎてからのこの期間中、私はこれまでの自分では考えられないくらい積極的に動きました(といっても、講座で求められる行動量にはまだ足りていないとは思いますが)。トライアルは当初の計画より前倒しで受験しました。セミナーにもいくつか参加しました。チャンスにも飛びつきました。

 これは、中国語の実ジョブでの「プチ成功体験」によって少し自信がついたことから来るものでした。全く未知の分野だったけどなんとかなった。だから、次もなんとかなる。そう思っていました。

 当たり前ですが、「なんとかなる」と思っただけではなんともなりません。自分のレベル、プロに求められるレベルの差、そしてどのくらいでその差が埋まるのか。それを冷静に分析して軌道修正を行う必要があります。

この時、私はそれができていませんでした。「いけるはず」と根拠のない自信のみで現実を直視せずに突っ走ってしまった姿は、まさに「夢子」そのものでした。行動力だけはあったので、さしずめ「アグレッシブ夢子」といったところです。

このままでは、トライアルを受け続けても受からない。受かったとしても仕事が来るレベルで受からないだろう。そして運良く来たとしても、レートは低いだろう。これが、講座卒業2ヶ月前になって、気づいた事実でした。

将来のための今(1年11ヶ月目~現在)

<学習内容および進捗状況>

・血管モデル対訳シリーズの学習
・岡野の化学の復習をしつつ、バイオメディカル系をメインに明細書を読む
・対訳学習(バイオメディカル系、実ジョブを想定したシミュレーション)

11月末(1年11ヶ月目)の時点で、「卒業時までに月30万」の目標を自ら放棄し、「今の状態でトライアルを受け続けるのは得策ではなく、まずはレベルを上げるべきだ。それも、ある程度のレートですぐに実ジョブを頂けるレベルまで」と自分自身の状況を分析していました。

そこから講座の対訳シリーズを利用した学習中の気づきや、もう1件の不合格トライアルの自己分析から「ある程度のレートですぐに実ジョブを頂けるレベル」にはまだかなりの距離があると判断。時間を捻出し集中して学習するために、継続して頂いていた中国語メインの実ジョブも一旦ストップして完全に学習モードに戻ることにしました。

「かなりの距離」とは、原文を読み飛ばしていて「わかったつもり」になっていること、長い文章の骨格を捉えられずに係り受けを間違えていること、そもそも特許明細書に約半年間触れていなかったことで日本語の明細書を読むのにも時間がかかる、といったところから感じたものです。

分野も、治験翻訳ではなく特許翻訳へ戻ることにしました。治験翻訳でのレベルの上げ方も見えてはいたので、もう少し学習を続けてトライアルを数こなせば立ち上がる可能性もあるとは思いました。

 特許翻訳に戻った理由は、学習時・実ジョブともに、その過程で獲得したスキルが翻訳以外の他分野へより展開しやすいと判断したからです。言葉を換えると、講座でも重要視されている汎用性の高いスキルである読解力、図解する力、説明する力などは、特許明細書の読解・翻訳を通じて効率的に鍛えることができると考えたからです。

 現在は3月末までの期間限定で「岡野の化学」で復習をしながら、これまで量・質ともに不足していた明細書の読み込みをする学習、そして実際に実ジョブがきたと想定してスケジュールを決めて行う自力翻訳とを組み合わせて学習を進めています。

 自分のレベル不足を痛感したこと以外にも、この決断に至ったのはもうひとつの理由があります。それは、「翻訳のその次の仕込みをする時間(スラック)を早く作れるようになりたい」という思いです。

 MTPE導入の動きが加速していることやAI翻訳の進化などから翻訳業界にも二極化の波が押し寄せる、と予想されています。

 生き残るために翻訳者としてのレベルを上げることも重要です。ただ、講座ビデオで散々お話されている通り、仮に翻訳で稼げなくなっても将来生きていけるだけのスキルを身につけることもまた大切であると私自身も考えています。

 それには、まずは翻訳である程度(年400万以上)稼いで、少しでも早く時間とお金を「次」に向けて投資できる環境を整えることが大切だと思っています。

 そう考えた場合、例えば低レートでトライアルに合格し、レベル上げの時間も取れないまま来た案件を処理し続けるのと、仮にですがその倍のレートで合格し仕事を控えめにしつつ学習の時間をとりつつさらに翻訳者としてのレベルを上げていくのと、どちらが得策かは明らかです。もちろん、「実ジョブが一番の勉強」であることも自分自身、実感として持っているので勉強を延々と続けることは得策ではないことは理解しています。そのため、学習に専念する期間は、最長3月末までとしています。

私はこれまでずっとその場しのぎで生きてきて、「将来を見通して今の行動を考える」という投資思考を持っていませんでした。少し前も「案件がすぐ来るかも」とMTPEに積極的に応募したくらいですから。

「目先の利益に囚われない」考え方ができ、自分で決断できるようになったのは、この2年間の「目には見えない大きな収穫」であったと思っています。

ただし、「目に見える収穫」の翻訳者としての実績は、卒業時の到達目標(売上月30万)には届いていません。

次の1年はトライアル上位合格のために足りないものを見極めて(現時点では特に、明細書を読み飛ばさずに正確に理解する力と翻訳の絶対量が足りないと考えています)、日々修正を繰り返し、2021年1月には特許翻訳者としての安定稼働(月売上40万以上、トライアル合格5社以上、2社以上より継続的に案件打診あり)を目指します。

この章の最後に、この2年間のトライアル受験状況、実ジョブ受注状況、学習時間をまとめます。

<トライアル受験状況>

応募:15社
合格:5社
不合格:4社
トライアルなしで登録のみ:3社(英語メイン:1社、中国語メイン:2社)
返信なし:3社

<実ジョブ受注状況>

・1社より中国語・英語医療翻訳案件を継続受注(中国語:英語=9:1)
売上は半年で計60万円弱、直近では月10~15万ペース
・上記以外の中日医療翻訳 1件
・英日産業翻訳のチェック案件 1件

<学習時間>

・1年目(会社員):約3061時間
(トライアル対応時間を含む。隙間時間のビデオ視聴などは含まず)

・2年目51週目まで(3ヶ月目過ぎに会社を退職):下記の合計で約3845時間
-学習時間(トライアル含む、隙間時間含まず):約2499時間
-実ジョブ(ジョブ関連の学習も一部含む):約928時間
-ブログ記事:約263時間
-将来のための時間(読書やライティングの学習など):約155時間

ブログをおすすめする理由

 この2年間でやってよかったと思うことはいろいろあります。例えば、早朝学習、使った時間の可視化、早めの設備・環境投資などです。

 ただ、これらすべてまとめても「ブログを書き続けること」の効果にはかなわないかもしれません。

 結果を出す(プロの翻訳者になる)という目的のためだけでなく、人生をも変えてしまう力がブログにはあります。そして私は、この2年間でブログの力を最大限に利用してきました。受講検討中あるいは受講初期の方のアドバイスとして、ここでは「なぜブログがおすすめなのか」についてまとめます。

チャンスが生まれる

 私の初めての、そしてこの2年で唯一継続受注できた取引先の案件は、ブログに日々学んだことをアウトプットしていたことがきっかけで頂くことができました。この受講感想を講座受講案内でご覧になっている方は、例えば「ブログを通してご連絡」で検索されると、同様にブログからチャンスをつかんだ他の卒業生の方の実例を確認できるかと思います。

 思いがけないところからブログ記事を見てご連絡を頂いたこともありました。今すぐに仕事にはつながらなくても、後々何かにつながる可能性があります。

 人とつながるチャンスという意味では、他の受講生とのつながりができることも大きなメリットだと思います。前述の通り何度かお会いする機会に恵まれましたが、それもブログを開設し、学習の進捗や悩み、興味のあることなどを書いていたことからこそ生まれたチャンスでした。

ブログコンサルを受けられる

学んだこと、疑問点、日々思ったこと(学習と直接関係がなくても)をブログに書いていると、ビデオセミナー内でアドバイスを頂けることがあります。

 私は、このブログコンサルの恩恵を最大限に受けたひとりであると思っています。かなりの頻度でビデオセミナーに取り上げて頂いたのですが、これは日々、まとまった分量(1000文字以上)を書いていたため私がどこで思い違いをしているか(あるいは計画の軌道修正が必要かどうかなど)がわかりやすかったからだと思います。

 翻訳者として稼働するためのスキルや考え方(訳語確定の方法など)についての貴重なアドバイスも、もちろんありがたいものでした。それ以外にも、ブログ記事から読み取れる自分では気づかない「甘さ」にツッコんで頂き、その指摘に対し真剣に考え改善してきたことで徐々にマインドに変化が起こりました。この意味での恩恵も非常に大きかったと思っています。

アウトプットを前提とした質の高い学習ができる

「今日学んだことをブログに書く」と決めて学習すると、そうでない時に比べてインプットにも集中するようになります。学んだことをまとめるのは知子の情報やノートでもよいのですが、「他人の目」があるかないかで真剣度はやはり異なります。ブログ記事は他人が読んで理解できるように書く必要があるので、あいまいな理解では書き進められなくなります。そのため本当に理解しているかどうかの確認にもなります。さらに、自分が悩みながらまとめた記事は記憶に強く残るものです。

 私は1年目最終週まで毎朝、学習開始前にブログを書き続けていました(その後は不定期です)。学習と関係ないことを書くこともありましたが、「学んだことを書く」を基本としていたので会社で「明日の朝何を書こうか」と考え、仕込みをすることも多かったです。

経験上ですが、もし時間や環境が許せるのであれば少しでもいいので毎日同じ時間に書く方が、いつしかそれが歯を磨くくらい「当たり前」になるので継続しやすいと思います。「時間があるときに書こう」と思うと優先順位が低くなり、いつしか「書かなくてもいいか」となってしまいがちです。

目標や学習時間などの実績をアップすることで強制力を利用できる

 何かを始める時に、途中で辞めないように周りの人に宣言して始めることがあると思います。ブログに目標を書くことで同じ効果が得られます。

また、今日やったことや明日やることなどを書くこともおすすめです。アップしなければならないと思うとやはりサボっていたことがわかる記録は出したくないので、勉強を継続する動機付けになります。

私は下記の項目をブログにアップしていました。

・毎日使った時間の実績をその種類ごとに色分けした表(1週間に1回まとめる、2年目8ヶ月目頃まで)
・昨日の学習内容と学習時間の実績、今日の学習内容と予定学習時間(ほぼ毎朝、1年目)
・時間計測アプリで計測した結果のスクリーンショット(毎日~3日に1回まとめて、2年目3ヶ月目~8ヶ月目頃まで)

 記録は現在でも続けていますが、途中ですべてブログへのアップはやめました。もうアップしなくても大丈夫だろうという気持ちがあったのですが、公開をやめた当初、やはり「サボってしまう」方向へ傾いてしまいました。そのくらい強制力があります。

書く力が向上し、次のビジネスへの展望がみえる

この2年間で、メモ書き程度の記録も含めて680件以上のブログ記事を書いてきました。頻度については、1年目は最終週までは毎日(500文字~長くても2000文字前後)、2年目は不定期で2000~5000文字程度の記事が多かったです。

 書くことを続けるうちに、当初は3、4行ほどの説明にも苦労していた状態から徐々に長く、そして当初よりも筋道立てて書けるようになりました。それがPVに表れたり「参考になった」とコメントを頂いたりすると、やはり励みになりました。

受講2年目にはライティングについて講座ビデオのブックレビューで紹介されていた本や教材などで学び、多く検索される記事、そして検索して来た人の疑問が解決されるような記事を書く方法など、「書き方」についても学習しました。また、書く力を向上させるために、アフィリエイトにも挑戦しました。ここまで、アフィリエイト収入と広告収入の合計で23,000円ほどの報酬を得ています。直近のPVは1万PV/月程度を維持しています。

もちろん、まずは翻訳で立ち上げなくてはなりませんし、翻訳と直接関係ない記事を書いたり、ライティングの学習をしたりするのは最優先事項ではありません。

ただ、ライティングやアフィリエイトで稼ぐのは翻訳よりもさらに時間がかかること、そして学んだことを日々の翻訳学習のアウトプットにも活かせること、さらに「内容を完全に理解して自分のフィルターで説明する力」はこれから何をするにも必要だと確信したことから、「緊急ではないが重要」である第2領域の学習と位置づけ、時間をとって取り組みました。

また、自分が書くことによって、他人が書いた文章への見方も変わりました。今は自然と、なぜこの記事はとても刺さるのか、なぜこの明細書は読むだけで頭が整理されるような感じがするのか、という視点で文章を読むようになっています。そして、文章で人を動かすことや書いて収入を得ることへの興味が高まり、翻訳者として安定稼働した後のやりたいことが見えてきました。

 この心境の変化は、思わぬ効果をもたらしました。それは「他人との比較は本当に無意味」というのが実感として得られたことです。約1年前、あれだけ他人と不毛な比較をして勝手に落ち込んでいたのに、です。これも「自分はこういう方向に進みたい」というものが見えてきたことが大きいのではないかと思っています。

以上の点から私は猛烈にブログをおすすめします。やったことについて書き、書いたことを資産化するという意味では、なるべく早く、受講開始時に始めるのがベストです。最初の頃の素朴な疑問や間違いや迷走も、すべて後々の資産となるからです。

なぜ、「マインドセットが成功のカギ」なのか

 1年目。必死に時間を捻出して勉強を進めながらもなかなか結果が出ず、2年目に入る頃には1年を振り返って「失敗だった」と感じていました。

 2年目。チャンスに乗って中国語の実ジョブをつかんでさらに治験翻訳の学習を始めトライアルに合格するも案件の打診はなく、自ら特許翻訳から大きく外れた道をひた走り、2年間で結局特許翻訳者としてのデビューには至りませんでした。

 客観的に見ると、方向転換を繰り返し、複数の分野と言語を並行させリソースを分散させまくっていた2年目の方が「致命的な迷走」かもしれません。

それでも、私は2年目については失敗だったと思っていません。それは、自らが「稼げるようになりたい」と本心から願い、そして自分なりに行動して得た結果だからです。うまくいかなくても、なぜうまくいかなかったのかを分析し、次はどうすればいいのかを考えて調整して再度行動すればよいだけです。得た結果から気づきを得られれば将来の成功確率が少し上がったことになる、そう考えています。

これに対して、1年目は「人生を変えたい」という思いこそ強烈だったものの、「変わった後」のイメージを明確に描けず、さらに「本当に翻訳者になれるのだろうか」「そもそも、本当に翻訳者になりたいのだろうか」という迷いも常に抱えていました。さらに、会社にも特に大きな不満はなく、その当時は目に見えるリストラの恐怖もありませんでした。

その状態で時間だけは確保して学習を進めた結果、1年目終了時点では他人と比較してただただ嘆き、失敗ばかりで結果の出ていない自分はやはり向いていないのではないか、と自分を信じることができない状態になっていたのです。

 この違いは「絶対に目標を達成する」というマインドセットの有無によってもたらされたものです。

マインドセットの違いが、一分一秒の行動を変えていきます。同じ時間投入したとしても、マインドセットができている人とそうでない人では、時間の使い方が変わります。さらに、マインドセットができていれば、うまくいかなくてもそれを失敗と捉えず、どうしたら次うまくいくだろうか、と自然と考えるようになります。

ひとつひとつの行動で起こる差はわずかかもしれませんが、蓄積効果によって年単位でみればそこには圧倒的な差が生まれます。

 今だからこそ、「1年目はマインドセットができていなかった」ことがわかります。そしてこれこそが、趣味的な勉強をしていたり無駄に悩んで時間を浪費したりすることが多かった本当の理由であり、かけた時間の割には結果に結びつかなかった最大の理由であるということも。

 もし、受講開始時点で「絶対に何が何でも翻訳者になる」という強固なマインドセットを持っていたら、この受講感想は全く違ったものになっていたはずです。

2年前に戻ってやり直すことはできません。

今は1年目の頑張りを認めた上で、目標達成のために足りないものを見極めて試行錯誤を繰り返しつつレベルを上げていくこと、それが私のやるべきことであり、今はそれができると思っています。

 これから始められる皆さんには、私と同じように「一番大切なもの」をないがしろにして時間を浪費してほしくない。この気持ちから、私はマインドセットの重要性をこの場を借りてお伝えしています。

この受講感想には、受講検討中の方に向けたその他のアドバイスは「ブログを書くこと」以外に直接的は書いていません。それはマインドセットさえ強固であれば、この講座のコンテンツの量と質、そしてサポートの手厚さから、途中で環境が激変しない限り成功しないはずはない、と思うからです。このことは成功された卒業生の受講感想を見ても明らかでしょう。

 ここまでで、マインドセットが大事ということはおわかりいただけたかと思います。

ただ、自分が果たしてマインドセットを持っているかどうかは、自分自身では気づきにくいものです。私も受講当初は「知識・経験はないけどやる気だけは誰にも負けない」と思っていましたから。

では、どうやって自分がマインドセットを持っているかを確認すればよいか、そしてどのようにしてマインドセットを獲得できるのかを最後にお話します。

これは、私がこれまで講座で学んだこと、そして成果を出された卒業生の共通点などを自分なりに分析して得たものです。小玉歩さんの「殆どの人が稼げない理由」(https://youtu.be/65X4BstG-2I)という動画も参考にしています。

(1)マインドセットを持っている人

(1-1)過去に成功体験があり、成長曲線を実感している人
(1-2)到達地点が明確に描けていて、自分はそこへ到達できると信じている人(例えば、下記の質問に明確に答えられる人)
-なぜ、翻訳者を目指しているのか
-いつまでに、いくら稼ぐのか、それはなぜか
-上記の目標を実現した時に、具体的にどこで、どんな生活を送っているのか
(1-3)外部的要因から絶対に期限内にプロにならなければならない理由がある人(金銭的理由など)

(2)マインドセットの獲得方法

(2-1)何かを捨てて、目標を実現するしかない方向へ自分を追い込む(退職するなど)
(2-2)将来のあるべき姿や理想の生活をできるだけ詳細に書き出して見える所に貼り、脳内で「実現した」と思えるレベルにまで潜在意識にすり込む
(2-3)他人から弱いマインドを指摘してもらい、矯正する

私は他人(管理人さん)から指摘を受けることでまず自分の弱いマインドに気づき、そこから将来のあるべき姿を模索していましたがうまくいかず、さらに管理人さんからの指摘から「仕事を捨てる」ことを決意し、マインドセットを獲得しました。

この過程は限りなく「個別コンサル」に近いものであり、別のビジネス塾などでは恐らく何百万とかかるコンサルティングを私は数十万の受講料に含まれるサービスとして受けた形になります。私は他の翻訳講座の受講歴はありませんが、このような翻訳者・フリーランスとして持つべきマインドにまで踏み込んだ「翻訳講座」はどこを探しても見つからないのではないでしょうか。

私のように、マインドセットが伴わないまま講座に飛び込んで叩かれまくってようやく覚醒する、という道もあります(ブログを続けることが前提となりますが)。ただし、この場合私が歩んできた道のりのように、恐らく結果が出るまで時間がかかります。

 誰よりも長く時間勉強した人がプロになるわけではなく、誰よりも強い気持ちを持って勉強した人がプロになるのだ、と私は考えています。

 受講を検討されている方にはぜひ一度、ご自身が翻訳者を目指す理由などを書き出して、「絶対に翻訳者になる」という気持ちがどれだけ強いか、また「途中であきらめない」と自分自身に約束できるかどうかをご確認いただければと思います。

 「絶対に翻訳者になる」というマインドを持っていることが確認できたら、あとは自分を信じて、講座を信じて進むのみです。

最後に

 私はこの2年間で人生を変えました。それは、会社員からフリーランス翻訳者になったということよりも、「目の前の景色」の見え方が全く違うものになったことから感じるものです。

 自分から世界を狭くして失敗を恐れて生きていた頃と、正しい努力を継続すれば何でもできるだろう、失敗こそが財産だと心から思える今。

 自分に縁のない世界だと思っていた「情報発信」の世界を垣間見て、そして挑戦してわずかな手応えを得て、もっと勉強したい、稼げるようになりたいと思える今。

 物事への見方が変われば、同じ情報に触れてもそれに対してどう考えどう行動するかが変わります。そして、行動が変われば得られるものも変わり、その得られたものによって人生そのものが変わります。

 正確に言えば、私はまだ「人生が変わるきっかけ」を得たにすぎません。これから自分の頭で考え、行動することを繰り返すことで本当に人生を変えていけるのだと思っています。

最後になりましたが、管理人様、2年間本当にありがとうございました。

正式受講後、初めて見たビデオのタイトルは「夢子への宣戦布告」でした。今思うとこの時に夢子との戦いは静かに幕を開けていたのですが、当時は全くの他人事でした。ここで夢子であった自分自身へ「勝利宣言」し、自分の将来のための新たな戦いへと出発します。

1年後、翻訳者として月40万継続的に稼げるようになっていること、そして3年後には「翻訳者兼ライター兼アフィリエイター」で活躍している姿をご報告できるように、毎日の学習と行動を積み重ねていきます。

受講生・卒業生の皆様にはブログから有意義な情報を頂いたり、直接お会いしたりメッセージのやり取りで励まして頂いたりすることで、自分にはない視点でアドバイスを頂く機会に恵まれました。本当に感謝しております。ありがとうございました。

そしてここまで、長い長い受講感想にお付き合い頂きました皆様。
本当にありがとうございました。

ここまでお読みになり「興味があったけどなんだかものすごく大変そう」と思われたかもしれません。是非、他の方の受講感想も参考にしてご判断ください。

「講座で楽しみながら勉強してプロになりました」という方がいらっしゃるのも事実であり、2年かからずに年収600万レベルに立ち上げる方がいらっしゃるのも事実であり、この受講感想もまた事実です。

もうひとつ事実をお伝えすると、私が当初ホワイト企業だと思っていた勤め先は、私が退職した年に吸収合併され、待遇にも大きな変化が生じました。

私はそれを予期して辞めたわけではないのですが、人生何事もタイミングだなとしみじみ思います。

この2年間の戦いの記録が何らかのきっかけになりましたら幸いです。

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