特許明細書を読むためには、
どの程度の専門知識が必要とされるのでしょうか。

 

その量と正確さ(厳密さ)について確認しておくことは、
これから特許翻訳者になろうとする人にとって、とても大切なことです。

 

なぜなら、知識は多ければ多いほど良い、正確であればあるほど良い
というのであれば、果てしなく専門知識を追い求めることになり、
翻訳者に求められる処理量とのバランスが取れなくなってしまうからです。

 

それどころか、何年勉強しても仕事が始められない
ということになってしまいます。

 

Tired woman in glasses sitting at the table with laptop and books. Looking at camera

 

 

競合する翻訳者との「比較的優位」が維持されている限り、
とりあえず仕事は受注できます。問題は、どこまで踏み込むかです。

 

特許翻訳者は、論文の査読委員のような専門知識は求められてはいません。

 

翻訳対象に大きな論理破綻がない前提で言えば、
翻訳者には「素早い内容把握」とコンテクスト理解に基づく
正確な翻訳」と「納期厳守」が求められています。

 

あまりに細部にこだわり過ぎて納期に間に合わないようでは、
プロの特許翻訳者とは言えませんが、逆に、内容を全く読み取ろうとせず
語句の置換作業に終始していたのでは、早晩仕事の依頼がなくなるでしょう。

 

後者は論外としても、大学・大学院・企業で専門知識を
ブラッシュアップしてきた人が、「潔癖症」で「完全主義」を
追い求めてしまうと職業人として特許翻訳者失格となってしまいます。

 

では、具体的にどの程度の深さで特許明細書を読めばいいのでしょうか。
具体例を挙げて説明しましょう。

 

 

 

題材とした特許明細書

 

今回取り上げたのは、以下の特許です。

 

【公開番号】特開2005-58288(P2005-58288A)
【発明の名称】医療用粘着テープのための粘着剤組成物及び粘着テープ

 

PRESSURE-SENSITIVE ADHESIVE TAPE AND PRESSURE-SENSITIVE ADHESIVE COMPOSITION FOR MEDICAL ADHESIVE TAPE
WO2005019369 (A1)

 

 

 

特許の大枠を把握しよう

 

結局のところ、何の特許なのか、
まずやることは特許の大枠の把握です。

一言で言えば何の特許か、どこがキモなのか、ということです。

 

 

まずは「課題」分を見てみましょう。

 

【課題】

 

高い透湿性と優れた防水性とを同時に有し、剥離時の皮膚刺激が少なく、 繰り返し接着が可能で、匂いがない医療用粘着テープを提供する。 また、高い透湿性と吸水性、保水性とを同時に有し、 剥離時の皮フ刺激が少なく 匂いがない医療用粘着テープを提供する

 

何=「医療用テープ」であることが分かります。

 

 

Content of First aid kit plasters, bandage and pills

 

 

となると、治療中という期間限定での使用となり、その間、
皮膚にしっかりと貼り付き、同時に容易に取り外し(剥離)可能で、
その際に皮膚への刺激が少ないこと(皮膚を傷つけたりしないこと)、
余計な匂いがしないこと、透湿性.吸水性.保水性などの特性が
問題となることは、明細書中の続きの文章を読まなくても分かりますので、
読んでいるのは、確認のためということになります。

 

次に、そのための「解決手段」をみてみましょう。

 

 

【解決手段】

 

ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤を含む前駆体を 架橋もしくは硬化して得られる感圧接着性ポリマーを含む ベースポリマーを含み、 かつ、前記ベースポリマーのガラス転移温度(Tg) は0℃以下である、 医療用粘着テープのための粘着剤組成物。

 

成分について、「ウレタンアクリレートオリゴマー」というのが登場しますが、
ここで、構造式や性質を想起できる必要はありません。

 

化学を専攻した人や細部にこだわる人の中には、
こういう物質が実在するのだろうか、どういう構造をしているのだろうか、
などの疑問を解消すべく徹底的調べようとする人がいますが、不要です。

 

こういう「潔癖体質」「完全主義」は、
自分の首を絞めることになりますので要注意です。

 

知識があって不利になることはありませんが、
その知識を使う場所と使い方を間違えてはなりません。

 

プロというのは、納品レベルを維持しつつ大量処理が求められますので、
「訳質」と「処理速度」にリンクしない作業に余計なエネルギーを
回してはいけません。

 

ここで翻訳者に求められるのは、「ウレタンアクリレートオリゴマー」が、
「ウレタン」+「アクリレート」+「オリゴマー」の合成であって、
スペルミスがないことの確認だけです。逆にいえば、その程度の
化学的背景知識は求められているということになります。

 

 

次に気になるのは、「前駆体」でしょう。

 

文章構造から考えて、どうやら「前駆体」というものを
「架橋」「硬化」させると「ポリマー」というのが出来るらしい。
前駆体はポリマーの「前」の段階にある何かだろう、
くらいは解読できると思いますが、ここではそこで止めておきます。

 

 

では、最後に「解決手段」の中で取り上げられている「ガラス転移温度(Tg)
を取り上げてみたいと思います。

 

 

glass-broken-12-texture_g1spwoh_

 

 

上で取り上げた「ウレタンアクリレートオリゴマー」と「前駆体」は、
中身(組成)についてのものだと推測されますが、
この「ガラス転移温度」は、本明細書が目指す製品の「特性」についてのもの
であると推測され、より発明の本質に関わるものであると考えられることから、
専門知識がなくても理解でき、かつこの点について理解できないと
本発明が完全にブラックボックスになってしまう危険があるからです。

 

 

 

ガラス転移温度についてどこまで理解すべきか

 

では、このガラス転移温度についてどこまで理解すべきでしょうか。
まず、明細書の中に答えがないかという視点で読み進めていきます。

 

以下のように、本明細書中に「ガラス転移温度」という言葉は、数回登場します。

 

 

【請求項1】

 

ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤を含む
前駆体を架橋もしくは硬化して得られる感圧接着性ポリマーを含むベースポリマーを含み、
かつ、前記ベースポリマーのガラス転移温度(Tg)は0℃以下である、
医療用粘着テープのための粘着剤組成物。

 

 

【請求項13】

 

ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤を含む
粘着剤組成物前駆体を混合すること、

前記粘着剤組成物前駆体を50℃以上100℃未満の温度に加熱して2000~100000mPa.sの粘度を有する塗布液を形成すること、
及び、前記塗布液を基材上に塗布し、その後、
前記ウレタンアクリレートオリゴマーを架橋もしくは硬化して、
ガラス転移温度(Tg)が0℃以下であるベースポリマーを形成させること、
を含む、医療用粘着テープのための粘着剤組成物の製造方法。

 

 

【課題を解決するための手段】

 

本発明は、1つの態様によると、
ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤を含む前駆体を
架橋もしくは硬化して得られる感圧接着性ポリマーを含むベースポリマーを含み、
かつ、前記ベースポリマーのガラス転移温度(Tg)は0℃以下である、
医療用粘着テープのための粘着剤組成物である。

 

本発明は、別の態様によると、
上記の粘着剤組成物を高透湿性基材上に有する、医療用粘着テープである。

本発明は、さらに別の態様によると、上記の粘着剤組成物の層からなる、
医療用粘着テープである。

 

本発明は、さらに別の態様によると、
ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤を含む
粘着剤組成物前駆体を混合すること、
前記粘着剤組成物前駆体を50℃以上100℃未満の温度に加熱して2000~100000mPa.sの粘度を有する塗布液を形成すること、
及び、前記塗布液を基材上に塗布し、その後、
前記ウレタンアクリレートオリゴマーを架橋もしくは硬化して、
ガラス転移温度(Tg)が0℃以下であるベースポリマーを形成させること、
を含む、医療用粘着テープのための粘着剤組成物の製造方法である。

 

 

【0011】

 

本明細書において、「ガラス転移温度(Tg)」は一般的に市販されている
粘弾性測定装置等によって測定される。

 

 

glass-broken-7-texture_g1qddoru

 

 

 

【0013】

 

ベースポリマー

 

粘着剤組成物中のベースポリマーはウレタンアクリレートオリゴマー及び
紫外線(UV)開始剤を含む前駆体を架橋もしくは硬化して得られる
感圧接着性ポリマーを含み、かつ、前記ベースポリマーの
ガラス転移温度(Tは0℃以下である。

 

ベースポリマーの原料としてウレタンアクリレートオリゴマーを
用いることで、アクリレートモノマーなどのモノマーがベースポリマー中に
残存して皮膚刺激を生じることを防止することができる。

 

また、ベースポリマーのガラス転移温度(Tg)0℃以下であり、
室温(例えば、25℃)などの使用温度よりも低いので、
皮膚に貼りつけるときに、粘着性を有し、また、皮膚形状に追従して
柔軟に変形することができるようになる。

 

 

【0031】

 

粘着剤組成物及び粘着テープの製造方法

 

本発明の粘着剤組成物は、1態様として、以下のとおりに製造されうる。

まず、ウレタンアクリレートオリゴマー及び紫外線(UV)開始剤などの
原料を混合して粘着剤組成物前駆体を形成し、次いで、
粘着剤組成物前駆体を50℃以上100℃未満の温度に加熱して2000~100000mPa.sの粘度を有する塗布液を形成する。

 

この塗布液を基材上に塗布し、その後、ウレタンアクリレートオリゴマーを
架橋もしくは硬化して、ガラス転移温度(Tg)が0℃以下である
ベースポリマーを形成させ、基材上において粘着剤組成物を製造する。

 

 

glass-texture-design_gjo8zvtu

 

 

このうち、なぜ「ガラス転移温度」が問題になるかについては、
【0013】に答えが書いてあります。

 

ここから読み取れるのは、ガラス転移温度というのは、ポリマーの柔らかさ(柔軟性)
と関係する。
この温度を0℃としたことで体温ではもちろん、水洗いなどの際、
体温より低温になったとしても、接着層の皮膚・体の凹凸への追従性が保持され、
テープがはがれたりしないしないことを言いたいのではないかという点です。

 

 

 

ガラス転移温度について調べてみる

 

専門知識の無い特許翻訳者がいきなり辞書や便覧で確認しようとしても、
コンテクスト理解には結びつきません。

 

まずは、明細書の記述を素直に読んで、何を言わんとしているのかを
推測してみることが大切です。その後で、ネット検索してみます。
すうすると、以下の解説が見つかります。

 

結晶性プラスチックにおいては、 結晶部分と非晶(非結晶)部分が存在するが、温度を上げて行くと、 まず分子間力に拘束されない非晶質部分の分子が動き出す温度(1)に達する。 更に温度を上げて行くと、ポリマーが分子間力で集まった 結晶部分の分子までも動き出し、すなわちそのプラスチックが溶融する温度 「融点」(2)に達する。 この時、(1)の温度を「ガラス転移点」という。 また、このガラス転移点以下では非晶質部分の分子も熱運動しない 柔軟性のない状態、即ちガラス状態となるので、 物性変化の点移転としてそう呼ばれている。 一般的には、非晶質固体において、 ガラス転移を起こす温度をガラス転移点と呼び、その上の温度域ではゴム状態、 それより低い温度域ではガラス状態となる。

 

http://www.kda1969.com/words/words_pla_2k_07.htm

 

「結晶」「非晶」「分子間力」など、
更に分からない言葉が出てきたと思いますが、とりあえず無視します。

 

最後のところを読み取ると、
要するに「ガラス転移点以上ではゴムのように柔らかくなり、
それ以外ではガラス状態、つまり固くなる。」ことが分かり、
検索前の推測が概ね正しかったことになります。

 

あとは、化合物名や調製方法について解読するためには、
それなりの化学の専門知識が必要となりますが、
ここでの調査も時間が許す範囲にとどめるべきでしょう。

 

このように考えれば、とても無理だ、読めないと思っていた
化学系の特許明細書も、とりあえず納品レベルでの作業はやれそうな気が
してきたのではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

 

本特許明細書が何を目指しているのか、まずはその大枠を把握しましょう。

そして、その際には、細部に踏み込んで、化合物名から構造や反応式を
考えるようなことはせず、作業に必要な範囲と深さで調査することを心掛けましょう。

 

プロの翻訳者には、量と品質を両立させつつ、納期厳守で継続的に
安定した仕事(アウトプット)をすることが求められているのだということを
くれぐれも忘れないようにして下さい。

 

 

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<追記>

 

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